過呼吸の冒険

過呼吸
Pocket

いつだって考えるのは過呼吸のことばかり

女の子の性教育についてです。
男の子のケースは書いたのですが、女の子のケースも知りたいというメッセージが何通もありました・・・
これは書くのに勇気がいります。理由は、私が幾度となく痴漢行為を受けた経験があるからだということと、その詳細を私が描くと、似たような経験をした人が読んだ時に、再度不快に感じてしまうのでは、だから書かない方がいいのでは・・・と思ったからです。
ですが私の子供にはくどいほど体験を話して猥褻行為に合わないように、「これは猥褻な、されてはならない行為である」と判別できるように教えていましたし、親族の女児達にも用心させています。私と同じ立場にある発達障害の女児のご両親にはできる限り「他人ごと」と思わずに用心していただきたいので、書いておきます。ただし、痴漢行為などをうけて嫌な思い出がある方は、読むことを回避するなりしてください。フラッシュバックしないように読むのを止めてください。

小学校の頃から、中学、高校、大学・社会人の時とトータルすると、私が受けたわいせつ行為はかなりの数になります。男性からすると「些細な」行為かもしれませんが、私にとっては「明らかに性的な」接触でした。そのうち、私が撃退できるようになったのは社会人の頃です。それまでは完全に「相手の善意、罪の意識に期待して」自分を守れませんでした。必ず痴漢行為を途中で止めてくれるだろう、その時まで耐えよう、という気持ちがあったのです。

痴漢行為をされたことについては、誰にも言えませんでした。これは両親が一番悔いている事らしいです。

私がされた痴漢行為をリストアップしますと(ここから痴漢された詳細の説明が入ります)
小学校全校で電車を使って校外学習に行ったときのことです。隣の座席に座った上級生の、6年生の男の子にじわじわとスカートの中に手を入れられ、しまいにはパンツの中にまで指を入れられ、耐えきれずに黙って席を立ったことがあります。男の子は知らん顔です。何をしているかわからないように、自分の上にジャンパーをかぶせて寝ているふりをして、私に手を出してきました。この子は私がいたチームのリーダーでした。私が「しゃべらない・しゃべれない緘黙児だ」ということは1年生から6年生のメンバーで編成されたこのチームで事前研修を受けていた頃から知っていました。その弱みにつけこんだのだと思います。その日は一日びくびくして、何も課外研修のことは覚えていません。

この「ジャンパーをかぶって」というタイプの痴漢行為は、大学の時にも経験しました。男性の痴漢しやすいパターンなのだと思います。大学の頃は「スーツの上着をかぶった」男に太ももを触られ、席を立とうとするとスカートの上からですが思いっきり股間をわしづかみにされたことがあります。その時は泣きだしたので、不審に思った他の座席の年配のサラリーマンのおじさんが、「こっちにきなさい」と言ってくれ、その男の人から離してかばってくれました。痴漢した男性は涼しい顔をして、隣の車両に移動しました。

中学の頃は、従妹同士で電車に乗って町に映画を見に行くときに、痴漢に遭いました。学校が代休で平日がお休みの時に行ったのですが、朝早い通勤時間に出かけたので、電車が混雑していました。従妹達と電車のど真ん中に立った状態でいたのですが、下半身にずっと何かがぶつかってきて、よけてもぶつかるのでカバンかな、何だろうと思い見てみると、前に立っている背の低い男性が大胆にも私の下半身に思いっきり手でさわっていました。女性にはおわかりかもしれませんが、生理中だったので、使っているシートや重ね着したカバーショーツなどで感覚がわかり辛かったため、発見が遅れました。そうすると相手の男性はカンチガイして「もっと自由に触れる」と思ったらしく、なんと堂々とスカートをまくり上げてきました。さすがに痴漢だと固まる頭でも理解したので、従妹の手を引っ張ったら「どうしたの?」と聞いてくれて、連れが居るとわかったからか、何か言われると思ったのか、それでその男性は手をひっこめました。ですがそ知らぬふりをする大胆さで、その時は勇気のないひ弱な私はショックと恥ずかしさで何も言えませんでした。

高校生の頃の時にはさらに怖いことがありました。習い事に行く際に、いつもは両親どちらかもしくはすぐそばに住まう叔父さんが送迎してくれるのですが、法事の用意で一族の大人達は一番忙しい時期だったので、「自転車で行く」と言って1時間かけて自転車で行こうとしたことがあります。1時間とはいえ、大通りを直線でいくだけなので、田舎ですがほんの少しは車も通りますし慣れた道なので、親も承知しました。車、というのは危険なのだということを私は知りませんでした。車道の端を自転車でいくのですが、帰り道の夕方、やや暗くなり始めた帰宅途中に、私の横にすーっとのろのろ運転の車がよりそいました。「なんだろう?」と思っていると、車の中の男性が、いわゆる下半身を出して行為をしているわけです。びっくりした私はものすごいスピードで逃げようとしましたが、相手は車なのでしつこく自転車に併走しようとします。相手は楽しんでいるのでしょうが、こっちは恐慌状態です。地の利がある私ですので、途中で親族の家がある方向に行く横道に入り爆走しました。あまりに怖すぎたので、親族宅に突撃し、その時も私は詳細が言えなかったのですが(この辺りの心理状態については後で克服していきます)、「変な車についてこられた」とだけは言ったので人さらいかと大騒ぎになり、親が車で迎えに来ました。それ以降は一人で自転車で習い事に行くことはダメだと男兄弟が一緒にいる時のみ、OKで日常的には親の車送迎となりました。

高校の時は、バスでも痴漢行為にあっています。田舎のバスなので、まさか痴漢に遭うとは思わず結構自由に利用していました。ですがよそ者というのが危険なのだと、知るべきでした。バスは地域の人が乗るバスなので、1台につき6,7名乗っていれば良い方です。たいていは大型モールのようなスーパーのある場所か病院や役所へ行く用事で皆が乗っています。座席はもちろん空いていますが、マナーとして私も窓際に座る癖がありました。ですが空いているバスで窓際に女の子が座る、ということの危険性に気が付いていませんでした。ある停留所で、大学生らしき大きなリュックを背負った見慣れない男性が乗ってきました。ほとんどの人はバスの前方に座っていて、私だけがバスの後方に座っていました。リュックを一番後ろに置いたその人は、なぜか私の隣に座りました。この時に
ある程度痴漢される経験があった私は不快感を感じたのですが、どうしようか迷っているうちに案の定、しばらくするとその男性は私の方に「バスの振動で揺れているふり」をしてじりじりと体重を私側に寄せてきて、腕を組んで寝ているふりをして、私の方に向けている手で胸を触り始めました。不快感が頂点になったので席を立とうとしましたが、体の大きい人だったのです。席をふさいで思いっきり、自分の体、主に肩で体重をかけてきて胸を触っていた手で腕をつかんで立てないようにしました。この時点で、小さい頃なら私も従兄弟や父親におんぶされたりという接触はありましたが、自分が高校生に成長した時期に「体の大きな男性」とここまでべったりと接触した経験がないので、大パニックになりました。体中の感覚が一瞬で「心臓がバクバクする音と血液のザーッと流れる音と動き、キーンという耳鳴り」に支配されました。無我夢中で足でその人の太ももを踏んづけて乗りあげ、暴れてバスの通路にどかん!と頭から倒れこみました。乗客がその音で「どうした!」と叫んでどかどかと近づいてきましたが、私が真っ青で床にへばりついてはーはーと過呼吸のようになっているから「気分が悪いんか!」と大騒ぎになり、囲まれて介抱されている間に(停留所におそらく人がいないから運転手さんがぶっ飛ばした)終点につき、バス運転手さんに営業所の待機所まで連れていかれました。貧血で倒れているような状態なので、私に痴漢した男性がどうしたかは確認する余裕がありませんでした。運転手さんも私が誰と座っているかも知らない状態だろうし、ただ心配して親が迎えに来るまでずっと椅子に寝かされて「病院行くか」とかいろんな運転手さんにかわるがわる頭の冷たいタオルを変えられたりして寝ていました。虚脱状態で何もできなかったです。親も貧血で倒れたのではとバス運転手さんから言われ、心配して連れて帰って寝かされました。言えませんでした。同じ「パニックの感覚」を味わいたくなかった、という理由と恐ろしすぎて発言できませんでした。

大学の頃、私は大人しい性格だと思われていたからか、女性に興味津々な時期の男の子にターゲットにされているような事もありました。研究レポートをグループで作成するはずなのに、なぜかグループ全員ではなく私だけ残されて、意味なく体をくっつけてくるような人がいました。恋愛行為とは違います。身体をとにかく触る、ということに夢中になっているようなコミュニケーションなどそっちのけの行為です。さすがに未熟ながら「腹が立つ」ということを覚え始めた私は、その頃先に大学生になった兄弟から「全員じゃないが、盛った大学生の男はとにかく女を性的に自由にしたがるし、深く考えずとにかく軽く扱う(汚い言葉ですみません、兄の言葉そのまま引用です)」ということを聞かされていた時期でもあったので、「帰る」と言って無言で離れるという事ができるようになりました。その後は兄に言われたように「無視、笑わない、目を合わさない、返事はそっけなく」というアドバイスに従い、そういう行為をしかけてきた人には全身から「嫌悪ビーム」を発信しました。

私がこれら全部のことを初めて話すことができた相手は、夫だけです。
痴漢行為を受けたことがあり、男性が信用ならないと思っていたのですが、夫は性別に関わらず私が「不器用だけど、言動に責任感がある、人をだまさない、真面目で礼儀正しい」と尊敬のような気持を持った相手でした。そういう誠実な態度を見て気持ちが緩み、そうして油断していても丁寧に接してくれる唯一の人でした。いい意味でも悪い意味でも「油断した隙のある女につけこむ」ということをしない人でした。同じ発達障害の特徴を色々と持つという点もあって急速に仲良くなり、過去の話をすることができました。そして「男はね、」という男性の痴漢行為をする人の汚い面や、善意などないこと、痴漢行為をする人というのは初めから確信犯で犯罪行為である意識も薄い人間だから、人として外れていること、だから最初からはねつける必要があること、じっと耐えているとエスカレートすること、そして、親にきちんと話さないと家族で一緒にあなた(私)を守るということができない、今からでも話しておいた方がいい、同じ環境で生活している他の姉妹や従妹さんのためにも、というアドバイスもあり、もっともだと思った私は一部始終を手紙に書いて親に渡しました。

その後の親の深刻さといったら、申し訳ないぐらいでした。とにかく、ひたすらに謝られ、未だに実家に顔を出した時に一人で山道を自転車で訪問・・・なんてできません。大学時代に車の免許を取るように言われ、それ以来どこに行くにも一人の場合は車移動です。この点だけは親が神経質、過敏になり、親族の女の子は田舎だからこそ、一人にしないというルールが徹底されました。親族の男達、小さい子も含めて、「女の子の親族を一人にしない」という認識設定されました。ですので、休日などは親族の手の空いている者が「子供を送迎する」ということが当たり前のように定着したのだと思います。この点では、私は自分の経験を親に、親族に伝達して良かったのだと思う事ができました。

振り返りますと、私は痴漢行為というショッキングな「男性から欲の的にされる」行為に対して、すさまじい抵抗感と恐怖と嫌悪感を抱きましたが、反撃する勇気は到底ありませんでした。どうしたらいいかもわかりませんでしたし、また味方がいないとどこかで感じていました。ある意味自閉の特徴がここでも色濃く出ていたのかと思います。少なくとも、女の子同士で心配事や嫌な経験を話す、ということぐらいは定型の子ならあるんじゃないかと思いますが、私にはそういう「誰かが自分のまきこまれた事件の解決の糸口になってくれる」という思いが足りず、全く受け身で発信できませんでした。また、兄や夫のような「男の立場から」見た女性への欲望、時には相手の気持ちなど関係なく身体だけを自由にしたい許されない行為を望む者もいるのだ、という現実や、それを跳ね返す必要はある、そうでなければ猥褻行為というのはエスカレートする、ということも説明されてやっと理解し、対応することができました。最初の触られた時点で、肘鉄をくらわせていたら、それ以上されないのだ、ともわからなかったのです。(ただし、性教育はある程度親から受けていました。それでも親は昔の人なので、具体的な卑劣行為について例を挙げて話したわけではないので、私は曖昧にしか把握していなかったのだと思います)
そしてここが言いたいことなのですが、発達障害の
子供はある独特の雰囲気を持っています。私からは「おそらくこの子は叫ぶことができない内向的な子だ」という風情をかもしだしていたでしょうし、親族の子達の中でも、「この子は素早く対応することができなさそう」ということが見てわかる子もたくさんいます。ちょっと他人から触られただけで「もう!気持ち悪いな!なにするのよ!」と切り返すおしゃまな女の子であれば被害も受けにくそうなものですが、オロオロと困って取り乱すタイプや、怖かったり不安だと固まってしまうタイプの子だとなると、ターゲットになりやすい、ということです。

私の子供は、男女共に私の体験をもとに異性に「してはいけない」ことと、「されてはいけないこと」を明確に話して聞かせて育てました。時期は幼稚園に入る頃からです。より具体的には、特に子供が小学校1年生になり、親の付き添いなくご近所のお友達と登下校をしたがるようになると「一人でもしも、の危機に遭遇しても対応できるように」と願って指導しました。近所と言っても5分、10分、15分はなれた家であることもあり、また下校時に誰とも約束しないで単独行動を取り帰宅するような時には一人になる時間も長いからです。
「知らない人が話しかけたら距離を保ちつつ、逃げられるように準備をする」
「車が自分の近くでスピードを落としたら、とにかく離れる。話しかけられても無視をする」
「同級生であれ、大人であれ、プライベートスペースをさわってきたらつきとばす。すぐに一番偉い人に話す、または親を呼びつける」
「知らない人が近くに寄ってきて、すこしでもおかしい、変だ、と感じたら、一番近い親族の家か、地域の誰の家でもいいから一番近くの家に飛び込む事」
「女の子は一人で家の敷地の外へ行かない、必ず男の子か大人についてきてもらう」
などを含む、「道がわからなくて」とか「お菓子を買ってあげる」とか、そういうパターンでの話しかけにもどう行動するかを実際にやらせて覚えさせました。
女の子達には、明るく大っぴらな親族の社会人や大学生のお兄ちゃんから、「女の子は気をつけないと、こういう男の子がこういう風に無責任なことをしでかすから、自分で気を付けること」というあけっぴろげな社会での話をしてくれました。男性から聞かされる、ということが真実味を帯びているので、これは一人暮らしをさせる前に必ず必要なことでした。

お蔭さまで、親族の女の子は異性を見る目が厳しいからか、とてもよいお付き合いをして、とても良い縁に恵まれ、大事にされている女子が多いと思います。私達両親の頃とは違い、私達以降の世代は女性もとても行動範囲が広く、また交通機関や通信の発達で「他人」があらゆる地域、あらゆる女の子に簡単に接触できる危険が高くなっています。ですので、子供の心身を守るためにも、こうした性教育は男の子にも、女の子にもきちんとすることが大事な時代になったのだと感じています。

女の子の性教育について、書いてみました。
人気ブログランキングへにほんブログ村

過呼吸のページにご訪問ありがとうございます♪

ご無沙汰しております。
優しく温かいコメントをいただいたのに、お返事も出来ず、こんなに遅くなってしまい、大変申し訳ございません。
ご心配くださった方々への近況報告とともに、自分自身の振り返りと心の整理の為に記させていただきます。

あれから、一周期お休みを挟んで、再び採卵に挑みました。今回もアンタゴニスト法でした。
私のメンタルが安定せず、運動も極端に減り、甘いものも食べてしまい、それが身体に影響したのかとても酷い周期で、hMGマックスで刺激しまくったのにも関わらず、卵は上手く育たず、ギリギリ取れたのは3個。
内、2つは未熟で受精にまで至らず、1つが顕微にて受精しました。
その1つすらも、3日目で6分割、フラグメント多めという散々な結果で、先生に『胚盤胞まで育つのを待った方が良いか』と尋ねたところ、『育たないと思うので、このまま初期胚を移植した方がまだ可能性はあるかもしれない』と言われ、私には悩む余地すらなく6分割の新鮮胚を移植しました。
結果は陰性でした。
久しぶりに基礎体温も測って、安定していたり、凍結胚で何度もダメだった方が新鮮胚で上手くいったなどという情報も得ていたので、僅かに期待しつつも、気持ちをフラットに保とうと気にせず過ごしておりましたが、案の定結果は陰性。
内膜増殖症の私ですが、今回は手術後以来まだ良い状態が続いているとのことだったので、内膜が良好でも上手くいかないことに今回もショックが大きいです。
励ますつもりで培養士さんや鍼灸師さんは『まだ若いから卵の質が良いはず』だと言ってくださいますが、二十代から治療を始めた私としてはもう若くはありませんし、例え若い方だとしても実際には卵の質は悪く、年齢すら味方になってくれません。
そして、タイムリミットが近づいてきているかと思うと恐ろしくて堪りません。
ですが、次はお休みしないといけないので、年末年始も挟むせいで2周期も見送ることになってしまいました。
先生も『内膜増殖症のことがあるから、生理の回数を重ねるのはあまり良くない』と言いつつ、どうしようもないので、凍結胚も無い、何もない、次男家の孫フィーバーに堪えるだけのただただ苦しい年末年始を過ごすことになりそうです。

 普段は夫にこれ以上負担をかけたくなくて、明るく楽しく過ごすようにしておりますが、治療のことや今後のことを考えると息が苦しくなって『なんで私が……』とか、人と比べても苦しくなるだけなのに友人や義弟の子が歩きだした姿や喋りだした姿を見るのが怖くてしか多ありません。
私が痛い思い、苦しい思いをしている間に、周囲はどんどん妊娠、出産、寝返りうった、歩きだした、喋りだした……どんどんどんどん置いていかれいるような思いになり、最早恐怖でしかありません。
考えそうになる度に、『なんで』と考えたところで何も意味はないし、次に繋がることを考えて計画しようと、着床障害専門の病院を予約したり、他の病院を調べたりしております。人と比べたところで苦しくなるだけだから、自分のことだけ考えようと言い聞かせたりもしていますが、無意識に考えてしまいます。
夫の次男家もついに女の子が産まれ、お正月に義実家に行くことを考えるだけで過呼吸になりそうになります。どんどん性格が悪く、荒んできてしまって、次男の子も三男の子も全く見たくありません。
元々子供が大好きで、今でも苦しいながらに街や病院で赤ちゃんや子どもを見かけると可愛いなとも思いますが、やはり昔と比べると可愛いだけではなく辛い苦しい思いも込み上げてきます。
そんな自分を責めずに受け入れようと思っても、それすら上手く出来ずにどんどん自分を嫌いになってしまいます。
世界で一番生きている価値がないと思っています。そんなことを言うと、『そんな風に思ってるから子供が出来ないんだ』なんて言われたりするかもしれませんが……。
こんな私なのに、夫は一緒にいて幸せだと言ってくれます。
夫も仕事で昇進し、立場も仕事も変わって大変なのに、こんな迷惑な妻を抱えているなんて本当に申し訳ない。せめて二人でいるときは楽しんでもらいたいと思うので、それだけは頑張り続けたいです。

……とまあ、毒を吐きまくったので、取り敢えずまた次に向けて頑張る為に、まずは着床障害の病院で検査を受けて、この前受けた健康診断でついに心電図が【要精密検査】になってしまったので、そちらの病院にも行こうと思っています。あと、また運動にもっと力を入れて、甘いものも制限して、別の鍼灸にも行ってみようと思います。
今は出来ることをひたすらやるしかありません。

関連記事