過呼吸 うれしいね、サッちゃん。

過呼吸
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過呼吸についてのとことん専門サイト

nこんにちは                ありがたいことに水蓮はこころよく受け入れてもらえて毎日くたくたですバドミントンの練習も疲れてほとんど行けませんでもそのうち行きます!!!      みんななにを思って生きてますか???わたしは変わりません!!!     寂しくても苦しくても悲しくてもうれしくてもわくわくしてもすべての感情は自分から発露する     ただ静かにじっと見つめる悩むけど先にすすむ        わたしのいままでの人生はこんな感じたいしたことない人生だけど、夢は叶うよ!と感じてくれればうれしいです        今日の朝の風頭の空もきれいです              過去記事「水の女」から引用     人生でくじけたこと一度もないですでは、楽で平坦な人生だったのかといえばそんなこともなくほんとうにたくさんのハードな出来事を経験してきましたね  高校時代に父親の株による損失ですべての財産を我が家は失いましたわたしは進学ができなくなり自分でお金を稼いで学校に行こうと覚悟を決めました 高校卒業してからは昼も夜も毎日休むことなく働きました2年間。。。昼は洋服やさん、夜は水商売のホステス時給600円の長崎ではいくら働いてもたまらないから親父の愛人にもなりましたねこれはもう。。。時効だから言えることです   そうやって一気に200万ためて21才で上京したあとは昼はパチンコ屋さんで住み込み店員しながら夜間の学校に通いましたパチンコ屋さんのアルバイトは体力的にも人間関係的にも相当につらくてある日寮から夜逃げしました23才のときの出来事です  それからのちアパレルの仕事に就きましたが安月給、それでも服はたくさん買わねばならず6万円の家賃も払わねばならず副業で夜水商売のホステスのバイトをしていました 高校卒業してからずっと昼夜働いてばかりでいつもお金に困ってて友達と旅行するとか趣味を楽しむとか職場の帰りに同僚と晩ごはんを食べにいくとかサークルに参加するとかそんな人生とは無縁で楽しそうに友達と遊んでいる同世代のひとたちを「あの世界はわたしには手に入らないのだ」といつも横目に眺めながらストッキングはいて、ヒールパンプスを履いて、長い髪を下して自分の倍ぐらいの年齢の男性たちにお尻を触られながら新宿歌舞伎町で水商売のホステスの仕事をしていた25才のころ    だけど。。。全然くじけませんでした 人生の初期設定がやや厳しいというスタートのビハインドまあ仕方ないそうなってるものはそうなってるのだからいまは人生というものにわたしは支配されているけれどいつしかこの図式を逆転させる必ずそうする 自分がそうすると決めればそうなるのだだからわたしたち人間は体と知恵を与えてもらっているのだ体と知恵をどのように駆使して考えつくすかは自分しだいそしてこのふたつだけは生まれ育ち関係なく平等に全員に与えられている最大限有効に使おう 使い方しだいのおのおのの未来が生まれる心を知恵を勇気を駆使してこのビハインドから抜け出せ!。。。と固く心に誓っていましたから まったくくじけませんでした

 転機が来たのは25才のときわたし目当てで飲み屋に通ってくださったお客さまから結婚を申し込まれたのです12才年上の男性彼はその当時、大企業の課長でした    わたしのほうはそんなに彼に惚れていませんでしたが彼はとにかく一途で生活に追われることにかなり疲れていたわたしは結婚を決意しました「これでお金のプレッシャーから解放される」。。。内心そう思いましたね。。。 
 

  結婚してからも仕事は切れ目なく続けました母親の人生をずっと見てきて痛感していることがあったからです「自分の力で生きていけないひとは、人生を自由に選べなくなる」。。。と   わたしがほんの子供のころから高校を卒業するまでのあいだ毎日のように母は父と離婚したいとつぶやいてました離婚できない理由はただひとつです「自分でお金を稼ぐ自信がないし、社会に飛び込む勇気がないから」  そしてことあるごとに言うのです「わたしと妹を置いて家を出ていけない」 母親に怒鳴り返してましたね。。。高校時代のわたし「自信のなさや勇気のなさを子どものせいにしてなすりつけるな!自己責任で人生を選べばいいじゃないか!」    自分の力でお金を稼げないひとは自由に人生を選べなくなる だからわたしは結婚してお金の不自由がなくなってからもとにかく働きつづけました     そして徐々に仕事運が上がってきたのでした理由は明確ですお金の心配をせず「やりたいこと」を基準に仕事を選べるようになったからです   上場企業が立ち上げた、インポートジュエリーの店長兼MDを経験したあとは有名なジュエリーデザイナーの先生のもとアシスタントを担当させていただいたりと仕事では次々と夢が叶っていきました バドミントンという全力で打ち込めるものにも出会えてもうほんとうに幸せでした  18才からずっと。。。やりたくもない仕事で働き詰めだったことを思い出すたびに飲み屋で親父にお尻を触られながら時には「このバカ」とののしられて酔っ払いに罵倒されたりしながらすごしてた毎日を思い出すたびに 好きなことが当たり前にできる幸せがありがたすぎて夢みたいでもうどんな努力もつらくなかった ありがたすぎて。。。もう努力すらも喜びなのですやっと自分の意志で人生を選べるときがやってきたのだから       仕事もバドミントンも全力で駆け抜けていたある日突然過呼吸になりました過呼吸がこじれてパニック症も併発しました35才のときです 電車や乗り物に一切乗れなくなってしまいました狭いところにいると恐怖から呼吸がおかしくなってしまいます仕事に行っても何度も早退を繰り返すようになりました    しかたなく仕事を辞めて専業主婦になりましたその当時旦那さんは50才手前すでに大企業の役員に就任していましたそして一年後には離婚したのです  当時の旦那さんはとても優秀なひとでしたいま現在は、大企業傘下の社長になっています 日経新聞に、旦那さんの人事が発表されているのを離婚したあとに読んで「本流ラインからは少し外れたけどああ。。。とうとう社長にまでのぼりつめたのだなあ」よかったね、と、、、嘘偽りなく心から思いました n;企業でトップに登りつめるために彼はあらゆるやりたいことを諦めていましたからそれくらいしても手にいれたかった椅子と人生 前回のブログ「真剣さとことん出して。。。歩こう」https://ameblo.jp/fumifumidonguri/entry-12121664155.html でもふれた生きることへの真剣さその真剣さは、そのように人生に対峙したものにしかわかりません友人と付き合う時間などすべて捨ててひとつに賭けるエネルギー わたしはそのタイプの人間彼もまさにそのことに当てはまるひとでしたから       パニック症になったことで専業主婦になったわたしその1年後には離婚して37才という年齢になりました結婚生活は11年で幕を閉じました 引っ越し代までは離婚した旦那さんが出してくれました2か月分くらいの生活費もいただきました慰謝料はいただいてませんだって、離婚したくて家を飛び出したのはわたしですから もう。。。ずっと以前から離婚したかったのです大企業の役員夫人という椅子を捨てて思うぞんぶん心の望むままにチャレンジしたかったのです    
 離婚してすぐ生活のために仕事探しをはじめましたがパニック症が完治していなかった当初は仕事が選べませんでしたなぜなら。。。面接を受けるとパニック症があらわれるのです面接の途中で脂汗が出て、体がぶるぶるとふるえますしかたなくほとんど面接のいらないお弁当屋さんで働きました 当時にくらべればずいぶんと仕事環境が変わってしまいましたが全然みじめでも不安でもありませんでしたわたしは喜びに満ちあふれていましたお弁当を作る瞬間も新しい経験で楽しかった 
   わたしには神さまが与えてくださった体と知恵がある勇気も行動力もあるさあここからまた未来を追いかけて這い上がって新しい人生を自分の力で作りあげていくんだ     パニック症がおさまるにつれ本格的に仕事探しをはじめました年齢の壁によって希望職種はことごとく書類選考で落ちてしまいますしかたなく。。。天然石の販売のお仕事をはじめました そのあとどんどん天然石の魅力にはまりこの仕事と出会えてよかったと思うようになりました      40才のときに店長候補として採用していただいた天然石のショップでは入社当初から10才以上年下の女性上司に嫌われて社長にあらゆる告げ口をされて働き始めて1カ月で解雇されました 次に働いた天然石のお店では仲良く楽しく1年以上勤務していたのです手相の鑑定が好評をいただくようになりアパートを自分で借りて、セッションの仕事を副業にすることを報告すると「だったらここを辞めて自分でおやりになれば?」とまたもや。。。強制的に解雇されてしまいました 応援してくれると思っていたのでびっくりしました約2年前のことです 
    2年間のあいだに2度の強制解雇。。。 いったい神さまは何がしたいのかと落ち込む瞬間もありましたがこれくらいのことでへこたれはしません  だってわたしには神さまと宇宙が与えてくださった体と知恵があるもの!ここからまた、新しい未来をつくろう        
そうすると不思議なことにここから急に仕事運が上がりはじめたのですしかも一気に!仕事運が上がると対人運も芋づる式にによくなりました  試練を与えど与えどあまりにもわたしが前向きなので神さまはとうとうわたしのことを素直に応援しようと決めてくれたみたいです 運という定期預金を半生かけて積み上げ続けて満期を迎えたら利息がたくさんついたそんな感覚      
 城土扶美恵の半生はざっと説明すればこんな感じブログに書いているのはほんの一部もちろん書いてある3倍は、破天荒なことがありましたよ(笑) 墓場まで持っていく秘密です。。。                頑張ろう!明日は必ずきてしまう!そうきてしまう  だとしたら生きる、のだよ豊かさは自分でつくるものだよ n

過呼吸 きになっちゃう。

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学校での黒髪強要問題

皆さんは
どのように感じていますか?

ネット上では日頃から
学校に不満を持つもの達が
学校を激しく咎めています

本当に学校側が悪いのでしょうか?

まずは下記のニュースを
先入観無しで読んで欲しい

~該当記事~
「茶髪がいると評判下がる」
女子高生“黒染め強要”で学校側の言い分
11/3(金)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171103-00004765-bunshun-soci

内容で中で
あれ?と感じる部分あったと思います 

(略)そのせいで頭髪がボロボロになって
逆に色素が抜け、
2年生の夏休みの登校日に
少し茶色に染め直してきたところ
教師に厳しく問い詰められ、
帰宅後、過呼吸に陥りました(略)
引用元 :(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

どうして茶色に染め直したんでしょうか?
黒も茶色も同じ“染料”です
黒は髪を痛め
茶色は髪を傷めないとでも?

ましてや
学校側が生徒指導で“過敏”になる
夏休み時の登校日に
髪を茶色に染めるとどうなるのか.....
厳しく指導されて当然です

学校側の対応は正当です
生徒を批判したり反論さえしていません
これが“大人”の対応の見本です

しかしそれを逆手にとり
(反論しない事をよいことに....)
一方的に咎めるのは
不良少年・少女によくある
特徴の一つに感じられます

私は個人的見解ですが
“素行”にも多少なりと
問題があったのではないか?と思います

おとなしい“性格”なら
あえて
茶色に染めるなんてしないでしょう

学校側も
“鬼”の様な指導だったのでしょうか?
これも疑問です

下記の内容を見ても.....
あれ?って感じませんか?

(略)一方で同校の同学年の生徒は
「入学時の頭髪検査で、少しでも茶色い場合は先生に
『地毛なのか』と聞かれ、申告しました。
集会でも教師2人態勢で頭髪検査をしますが、
申告があればお咎めなしのはず」と首を傾げる(略)
引用元 :(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

普通に申告している生徒との
“温度差”に違和感を感じませんか?

こうなるのには
生徒の素行に加え
学校と生徒の家庭との間に
確執があったのも
要因の一つではないでしょうか?

(略)女子生徒は不登校となり、
母親は弁護士を交え学校側と協議。
ところが今年4月、
登校を試みるとクラス名簿には自分の名前がなく、
席もなかったそうです」(略)
引用元 :(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

弁護士を交えるのは
学校側と生徒の家庭が
意見の対立が悪化している証拠です

登校を試みたとありますが
不登校が続いたり
学校側との争いが生じると....
“進級”出来ない場合があり
前年度まで同じクラスだった
学年の生徒と学年が
違う事も起きる可能性があります

進級の“課題”に真摯に取り組み
学校側の生徒指導に従わないのなら
進級できない
これは今も昔も変わらない“指導”です

高校は義務教育ではありません
授業料の未納が1円でもあると
修学旅行に参加できない学校なんて
三重県でも数校あります 学校側や記事では触れていませんが
不適切に髪の毛を脱色したり
過度なドライヤーやアイロン使用で
髪の毛が著しく痛んだり
色素が抜けて.....
これでも“地毛”だと言い張る生徒も
よく見かけます

酷い時は
眉毛さえ抜いて
これも普通だと言い張る生徒もいて
教育現場は手に負えない状況です 

学校の指導が悪い.....
本当でしょうか?

報道を真に受けて....
生徒側だけが語る内容だけで.....
判断するのは
おかしいと思います

何度も書きますが
高校は義務教育ではありません

高校が
県に市に一つしか無いのなら
仕方ありませんが
そんな過疎でも無いはずです

学校側の規則に従えないのなら
入学しない・自主退学するの
選択肢を選ぶべきでしょう

学校を嫌い見下している者も
自分を受け入れてきた学校に
感謝の気持ちを抱くべきです

皆さんも
偏見に惑わされること無く
ニュースに隠された“真実”を
見つけ出す力を養いましょう    n

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